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| 連載「コロナ災害から見えてくる現代社会の問題」
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掲載日:2020年6月8日

第6回 コロナ禍で試される私たちの民主主義

ワクチン接種が国民の義務になるか

国は、新型コロナウイルスのワクチンを早期実用化し来年の前半に接種開始するプランを発表しました。最終的に国民全員に接種することを念頭に置く内容です。

現在、日本では予防接種法により一部のワクチン接種が「努力義務」とされているものの罰則はありませんが、感染防止強化の世論の中で、ワクチン接種の義務化が加速する可能性も考えられます。

「健康」に生きることは基本的人権

そもそも、私たちが健康に生きることは憲法で保障された国民の権利であり、国家から強制されるものではありません。健康を維持するために、医療にかかるのも個人の権利です。

しかし、新型コロナウイルスの感染拡大の中で、健康維持は個人の権利としてではなく、公衆衛生を維持するための義務という性格が強まっています。

諸外国では外出禁止など厳しい措置が取られ、従わない市民には警察による取り締まりや罰金が科せられている国も少なくありません。日本では、今のところこういった私権の制限を伴う厳しい措置は取られていないものの、営業を続ける店舗などへの嫌がらせやマスクをしていない人を通報するなど、「自粛警察」と呼ばれる私的制裁が問題となっています。同調圧力からくる息苦しい空気が蔓延しています。

民主主義と私権の制限の関係

ドイツのメルケル首相は、国民に向けたメッセージの中で、政府の取った閉鎖措置などの前例のない強い制限措置について触れ、「先人たちが苦労して勝ち取った権利である旅行や移動の自由の制限は、絶対的に必要な場合のみ正当化されるもの」と強調。「これらへの制限は民主主義社会において決して軽々しく決められるべきではなく、一時的にしか許されない」「しかし、それは今、命を救うために不可欠だ」とし、自由や人権といったかけがえのない権利を制限することへの理解を求めました。

人権と公衆衛生のせめぎ合い

世界的にも、移動の自由や集会の自由、個人のプライバシー権など、民主主義社会の中で勝ち取ってきた諸権利よりも、感染症対策などの公衆衛生が優先されることはやむを得ないという社会的合意ができつつあるように感じます。

一部の国ではスマートフォンなどの位置情報などで、行動履歴が国家に管理されるところまできています。

これらの措置が、メルケル首相の言うように未曾有の感染症への対応としてやむを得ない一時的なもので済む(すむ)のか、それとも感染を恐れる心理が勝り、これらの諸権利が制限され、国家による監視や管理が進むのか。

コロナ後の社会をどのように切り開くのかは、その国や地域の民主主義の潜在力と深く関係すると思います。

果たして日本はどうでしょうか。

コロナ禍に便乗した改憲議論

いま、自民党からは、憲法改正による「緊急事態条項」の創設が提起されています。 大災害など有事の際に、国会の承認がなくても内閣が法律と同等の効力を有する政令を制定できてしまう「緊急事態条項」を憲法に加えることと、今回発せられた感染症対策のための「緊急事態宣言」とは、大きく異なるものです。

しかし、今回の緊急事態宣言下で「非常時」を国民が経験し、何となく「非常時には政府にフリーハンドを与えることもやむを得ない」という気分が醸成され、拙速な改憲が進んでいくことを強く危惧します。今回の自粛要請に従わなかった一部業種などをやり玉に挙げ「緊急事態条項がなかったから強制措置が取れなかった」というキャンペーンに煽られて「もっと強制力のある措置を」との声が国民の中からもあがるかもしれません。

試される私たちの民主主義

戦後私たちが、享受し、守ってきた自由や人権などの諸価値が試されています。

強いリーダーにすべてを委ね、市民はそれに熱狂したり、逆に文句を言ったりするだけの観客的民主主義に陥ってはなりません。

「人が集い、語り合い、時間をかけて合意を積み上げていく民主主義」は、社会の根幹をなす価値あるものです。

コロナ禍という非常事態の中で危機を迎えた民主主義について、改めて、学び直し、考え、より強固なものにつくり上げていきましょう。

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